2024年「世界占いの日」ご報告

回向院御本尊
回向院 御本尊阿弥陀如来が鎮座する本堂

2024年9月9日、今年の世界占いの日は、大相撲観戦と回向院見学をいたしました。
遠くは東海支部、北関東支部の先生方をはじめ、一般からも多数ご参加頂き総勢36名でした。

馬頭観音堂
馬頭観音堂

最初に勧進相撲発祥の寺院でもある浄土宗回向院での講話と境内の見学から始まりました。
御本尊阿弥陀如来が鎮座する本堂で、富塚崇史会長のご挨拶に続き本多将敬ご住職の法話を拝聴しました。
回向院設立の由来は、明暦3年(1657)『振り袖火事』で知られる江戸で起きた明暦の大火で10万人以上の犠牲者がでて、その多くが身元や身寄りの分からない人々でした。当時の四代将軍である徳川家
綱の命により、「万人塚」という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。この時、お念仏を行じる御堂が隅田川沿いに建立されたのが回向院の歴史の始まりです。その当時、寺社建立や橋の架け替えの資金集めとして勧進大相撲が立案され、明和5年(1768)回向院境内で始まり、寛政時代、文化文政時代を経て、明治時代、旧国技館の完成まで行われました。
境内の案内では、昭和11年、歴代の相撲年寄の慰霊の為に建立された『力塚の碑』や江戸時代後期の浮世絵師や戯作者として知られる山東京伝の墓所。時代劇の義賊として活躍した鼠小僧次郎吉の墓等、九九の参加者は熱心に講話を聴き入り、ご住職による境内の案内では時間の許す限り回向院の名所を見学しまた。

井田亀学
井田亀学

昼食時になり、回向院からほど近いちゃんこ料理『相撲茶屋寺尾』に移動いたしました。
大相撲で一世を風靡した井筒三兄弟の長男、鶴嶺山が創業。各テーブルに備えられたちゃんこ鍋は塩味、味噌味、醤油味と多彩なバリエーションで、思い思いに談笑を交わし、汗ばみながら本格的なちゃんこ鍋に舌つづみを打ちつつ昼食を終えました。

両国国技館前の数多くののぼり
両国国技館

最後は今年の九九のメーンイベントである大相撲観戦に両国国技館へと移
動いたしました。
国技館玄関で集合写真を撮影して2階席へと移動、収容人数11,098人の館内は満員御礼の垂れ幕が出され、十両の取り組みの最中でした。

相撲の歴史を遡れば、古くは古事記に建御雷神(タケミカヅチノカミ)と建御名方神(タケミナカタノカミ)が、出雲の伊那佐の浜で力比べを行い、負けた建御名方神が信濃国の諏訪に逃げたという逸話があり、国譲りという解決方法が格闘技だったということです。

土俵の天空に目を移せば、四方に垂れる四種の総(ふさ)は、東西南北と四季の守護神を表し、東の青房は青龍で季節の春、南の赤房は朱雀で夏、西の白房は白虎で秋、北の黒房は玄武で冬。神事としての相撲の要素が随所に見て取れました。
結びの取り組み、弓取り式まで観戦して世界占いの日のイベントは無事終
了しました。